意外!「どっこいしょ」の語源は仏教だった

ゴータマ像
チエコさん

新しいソファーを買ったんだけど、とても重いんです。
マナブさん、運ぶのを手伝ってもらえませんか?どっこいしょ!

マナブさん

チエコさん、
今日はその「どっこいしょ」の語源についてのお話しましょう。

目次

仏教の伝来とその影響力

仏教は、日本の文化や社会に大きな影響を与え、日本の歴史を大きく変えることになりました。

仏教伝来と日本での広がり

仏教は、紀元前5世紀頃にインドで誕生した宗教です。その教えは、釈迦の悟りに基づくもので、苦しみの原因とその解脱について説いています。日本に仏教が伝来したのは、538年、欽明天皇の時代に、百済から百済王の使者である王仁(わに)が、仏像や経典、仏教書などを持ち込んだのが始まりとされています。

しかし、当時の日本は、天皇を主神とする神道が信仰されており、仏教は異教として受け入れられませんでした。その後、蘇我馬子(そがのうまこ)が仏教を推進したことで、仏教は徐々に広まり始めました。馬子は、飛鳥寺(法興寺)を建立し、また、推古天皇の摂政として、仏教の公認を実現しました。

思想や価値観の変化

仏教の教えは、日本人の思想や価値観に大きな影響を与えました。たとえば、苦しみの原因とその解脱についての教えは、日本人の死生観に大きな影響を与えました。また、仏教の教えは、平等や慈悲などの価値観を広め、社会の安定に貢献しました。

文化の交流

仏教の伝来は、大陸の文化との交流を促しました。たとえば、仏教の建築様式や美術工芸、音楽などの文化が日本に伝えられ、日本の文化に大きな影響を与えました。また、漢字や暦などの知識も、仏教を通じて日本に伝えられました。

社会統合の役割

仏教は、社会統合の役割を果たしました。たとえば、仏教の教えは、人々の心を1つにし、社会の秩序を維持する役割を果たしました。また、仏教寺院は、教育や福祉などの機能を果たし、人々の生活を支えました。

「どっこいしょ」の語源

「どっこいしょ」という言葉は、力を入れたり、はずみをつけて動いたりするときに発する言葉です。この言葉の語源は、仏教の修行用語「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が訛って変化したと言われています。「六根清浄」とは、仏教における修行のひとつで、六つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)を清らかにすることにより、煩悩を断ち、仏の境地に至るという教えです。

修行者は、山岳修行などで「六根清浄」を唱えながら山を登ります。その際に、足場が悪い道を進むときや、重い荷物を運ぶときに「どっこいしょ」と発し、力を振り絞ったと言われています。

この言葉は民間に広まり、現在では日常会話でもよく使われるようになりました。「どっこいしょ」という言葉は、仏教の修行の精神を象徴する言葉と言えるでしょう。「どっこいしょ」は、困難に立ち向かう状況で、力を振り絞る気持ちや、なんとかなる精神を表す言葉として、広く親しまれています。

「どっこいしょ」以外の仏教由来の言葉

仏教が語源だったり、仏教から由来する言葉やことわざはたくさんあります。仏教は日本の文化に深く根付いているため、私たちの生活の中にも、仏教の影響を受けた言葉やことわざが数多く存在しています。

ありがとう

漢字にすると「有難う」で、これは仏教の言葉「有難し」が語源です。「ありがとう」という言葉は、感謝や感謝の気持ちを表す言葉ですが、仏教的な背景から見ると、この言葉には深い意味があります。感謝の念は仏教の教えにおいても重要視されています。仏教では、他者からの善意や援助を受け取ることを大切にし、その恩恵に感謝することが善行の1つとされています。感謝の気持ちを持つことは、他者への尊重や思いやりを示すことでもあります。また、感謝の念は執着を捨てることにも繋がります。

仏教では、物事や人々に執着せず、感謝の気持ちを持つことで、心を豊かにし、幸福を感じることができるとされています。感謝の念は、幸せや満足を見出す手助けとなり、他者とのつながりを大切にすることを促します。

要するに、「ありがとう」という言葉は、仏教的な観点から見ると、他者への感謝の気持ちを示すだけでなく、心を豊かにし、執着から解放される手助けとなる大切な態度や行動の1つと言えます。

うんたらかんたら

「うんたらかんたら」という言葉は、あいまいな言葉や曖昧な内容を指す表現です。これを使うときは、具体的な内容を述べることなく、あるいは話題を避けるために使われることがあります。この表現は、何かを言いたいけれども具体的な言葉を避けたい場合や、話を軽く流したい時に使われることがあります。「うんたらかんたら」を使うことで、その話題を深く掘り下げることなく、あいまいにしておくことができます。

これはサンスクリット語の「ウンターラ・ウンターラ」が語源です。ウンターラ・ウンターラは「あれこれ、さまざま」という意味で、仏教の教えを説く際に、具体的な例を挙げながら説明するときに使われていました。

仏の顔も三度

「仏の顔も三度」ということわざは、基本的には人間も感情的になることがあるということを指しています。人間でさえも、感情的な状況に置かれると冷静さを欠くことがあるという意味合いがあります。

具体的には、どれだけ穏やかな人であっても、乱暴なことをたびたびされると腹を立てることを指しています。このことわざは、人間は時に感情的になり、その時の態度や表情は冷静な状態の時とは異なることを示唆しています。

また、このことわざは仏教的な観点からも解釈され、仏教の教えである「無我」や「平等心」を示唆しているとも言われます。つまり、人間も含めて誰もが感情的になることは自然であり、その状況によって態度や表情が変わることがあるということを教えています。

袖振り合うも多生の縁

「袖振り合うも多生の縁」ということわざは、人々が運命的に出会うことを表現しています。道を歩いて見知らぬ人と袖が触れ合うようなことでも全て前世からの因縁であることから、どんな些細なことや人との関わりも決して偶然ではなく、何かの縁があて起こるという意味です。

このことわざは、何気ない出会いや一見関係のない人々でも、過去の生涯を通じて何らかの縁で結ばれている可能性があることを示しています。また、運命や縁が不思議であり、意外な形で人々を結びつけることを強調しています。

つまり、「袖振り合うも多生の縁」とは、偶然の出会いでもそれは前世からの縁があってのものであり、人との関わりは何かしらの縁で結ばれているという考え方を表しています。

一期一会

人生は1度きりであり、出会いも1度きりであるという、仏教の教えに基づく言葉です。この言葉は、大切な人やかけがえのない瞬間を、大切に過ごすように諭すものです。

具体的には、人との出会いや交流は何度でもあるわけではなく、その瞬間を大切にし、その縁を大切にするべきだという考え方を示しています。人との出会いは偶然でも、その縁は大切にするべきものであり、その瞬間を大切にし、深く心に刻んでおくべきだという教えが込められています。

また、このことわざは一期一会の出会いを通じて、相手との関係を大切にし、空間や時間を共有することで心豊かな人生を築くことを促しています。

色即是空、空即是色

「色即是空、空即是色」という言葉は、仏教の核心的な考え方の1つを示しています。これは、心や物事の本質を理解するための仏教の教えであり、心の境地や宇宙の本質を示す言葉です。この言葉は、物質的な存在(色)と、それが実際には実体を持たず一時的なものであること(空)を指しています。

つまり、「色(物質的なもの)そのものが空であり、また空そのものが色である」という意味合いがあります。この考え方は、物事や現象が固定された実体を持たず、常に変化しているという仏教の見解を示しています。物事は一見、実在しているように見えても、その本質は常に変化し、実体を持たない空であり、それが一時的に存在する色相(形や姿)として現れているということを表しています。

つまり、「色即是空、空即是色」は、物事や世界の本質は実体を持たず、常に変化し、相互に依存しあって存在しているという仏教の見方を示しています。

無為(むい)

「無為(むい)」は、仏教や中国の思想で使われる言葉で、直訳すると「何もしないこと」「行動しないこと」を意味します。しかし、その意味はただ何もしないというだけではなく、無駄な努力をしないで自然の流れに従うことを示しています。「無為」の考え方は、あえて力を入れずに自然な流れに身を任せることで、物事が自然な形で進行するという考え方を指します。これは、努力や執着を捨て、無理に何かを変えようとせず、自然の流れに身を委ねることで、より調和した状態に至るという信念を持っています。

仏教では、執着や欲望からくる苦しみを避けるために、無為の考え方が重視されます。無為とは、無理に何かを成そうとするのではなく、自然の法則に従い、余計な執着を捨てて心を穏やかにし、物事の自然な流れに身を委ねることを示しています。

四苦八苦(しくはっく)

「四苦八苦(しくはっく)」は、仏教の教えに基づいて人生における苦しみを表す言葉です。具体的には、4つの苦しみ(四苦)と8つの苦しみ(八苦)を指します。

まず四苦とは「生老病死」です。仏教ではこの4つが人間の根源的な苦しみであると説かれています。そして八苦とは、この四苦にさらに下記の4つを追加して八苦となります。愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとっく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の4つです。

つまり、「四苦八苦(しくはっく)」とは、以下のようなものです。

  1. 愛別離苦(あいべつりく)
    大切な人や大好きな人と、いつかは離れなければならない苦しみ
  2. 怨憎会苦(おんぞうえく)
    大嫌いな人、憎んでいる人でも出会ってしまう苦しみ
  3. 求不得苦(ぐふとっく)
    望むものを手に入れられないことから生じる苦しみ
  4. 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
    自分の身体すら思い通りにならない苦しみ

この教えは、人生にはさまざまな苦しみがあることを教えています。これらの苦しみは、仏教においては執着から生じるものであり、その苦しみを克服するためには執着を捨て、無常を受け入れることが重要だとされています。

涅槃(ねはん)

「涅槃(ねはん)」は、仏教における重要な概念であり、直訳すると「すべての煩悩が消え去ること」「苦しみから解放されること」「究極の平和や解脱」を指します。

一般的に、涅槃は仏教での目指すべき最終目標であり、仏教徒が煩悩や執着から解放され、究極の平和や幸福を得る状態を表しています。これは仏教の修行者が「悟り」を開き、苦しみや無明から解放された境地を示しています。

涅槃はまた、仏教における死後の境地でもあります。仏教では、死後に涅槃を迎えたとされる仏陀や、悟りを開いた菩薩などの存在が、苦しみや輪廻から解放され、涅槃の境地に達したとされています。

まとめ

今回は、日常生活でよく使われる言葉「どっこいしょ」の語源についてご紹介しました。

「どっこいしょ」の語源は、仏教の用語である「六根清浄」であるとされています。六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚のことで、この六つの感覚を清らかにすることで、心身を浄化し、煩悩を断ち切ることができるとされています。

修行者は、山に登りながら「六根清浄」と唱えることで、この6つの感覚を清らかにしようとしていました。その際に、唱える言葉が「どっこいしょ」に変化していったものと考えられています。「どっこいしょ」は、修行者が山を登る際に、困難に立ち向かうための心構えを示す言葉だったことがわかります。また、その語源は仏教にあることから、
日本語の文化や宗教と深く関わりのある言葉であることもわかります。

「どっこいしょ」は、私たちの日常生活でもよく使われる言葉です。この言葉を使う際には、その語源や意味を思い出し、困難に立ち向かうための心構えを持つことができれば、より深く言葉の意味を感じることができるでしょう。

チエコさん

「どっこいしょ」だけでなく、私たちは仏教に由来するたくさんの言葉に慣れ親しんで使っていますね。

マナブさん

仏教が日本に伝わってから今日までの歴史の重みを感じます。
さあチエコさん、早くソファーを運んでしまいましょう。どっこいしょ!

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